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コラム

菅原のひとりごと

弊社代表・菅原による不定期連載。世の中の動向や日常の出来事を徒然語ります
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第36回

ザクッザクッと凍った土手を踏む音が少し柔らかくなったような気がします。殺風景な広瀬川沿いの広場は雪が融けて土の匂いがします。愚犬に驚いた雉が川面すれすれを対岸に走りました。上空ではオオハクチョウが渡りの準備を始めています。川上を新幹線と在来線が交錯して、川下の大橋には車が渋滞していますが、川の潺が聞こえます。喧騒を忘れられる日常が都市の中に共存して四季折々を伝えてくれます。ウォーキングやジョギングをする人たちも増えてきました。2月中旬、仙台は足の裏から大地の春を感じ始めています。

同じ風景があるはずの福島第一原発避難区域は春が遠いですね。天災ではなく人災である事実、国・東電の時間稼ぎとも思える無策さ無責任さに呆れます。この国は廃炉に何十年もかかるであろう怪物を全国に54基も抱えています。どの原発の周辺にも営々と人々と自然が共生し築き上げた原風景があります。目先の稼働可否で原発の存在リスクが消えることはなく、寿命もきます。悪政のツケを国民に回す一体改革より先に「怪物をどうするか?」を決めること、福島で手本を示すことこそが、次世代に禍根を残さないことでは?総理殿。

橋下大阪市長が提唱した「維新版・船中八策」(維新八策)が話題になっています。内容の是非は別として、坂本龍馬を利用したのは庶民受けしますね。「どうせ今のままじゃだめですから、平成の黒船に乗りますよ!」街頭インタビューに応えた30代男性に思わずうなずいちゃいました。声の大きい人が正思い出しました。龍馬は志半ばで倒れましたが、歴史は大きく舵を切りました。個人的には「維新八策」の先にある日本丸の針路を示してほしいと思うのですが・・・まぁ若さに期待しましょう。

2020年のオリンピック招致に東京が立候補、私は大賛成です。前回東京大会は1964年、私は小学1年生でした。我家に白黒テレビが来た年でもあります。東洋の魔女(女子バレー)、神永がヘーシンクに敗れた柔道無差別級。もっと記憶に残っているのが天然色テレビで観た1972年札幌大会の日の丸飛行隊(笠谷、金野、青地)。表彰台独占はカッコ良かったですね。「選手として出よう!」「外国語を話そう!」「観戦に行こう!」例え一部の若者でも夢と努力目標が生まれます。外国人が安心して来日できるよう、放射能汚染を収束させる達成目標にもなりますね。

ワクワク、ドキドキ、いつの時代もスポーツは勇気と感動を与えてくれます。映画「ALWAYS三丁目の夕日’64」に感化されながら、あの時代のような活力のある未来が、実はすぐそこにあるような気もします。石原さんの最後の仕事はそちらの方でどうでしょう?(笑)

冬の時代は終わりにして、どちら様にも「春よ来い!」ですね。

平成24年2月21日



プロフィール菅原 誠

株式会社エムジョイ代表取締役。
平成元年、地元テレビ局とタイアップした学生の就職支援イベント「探職フォーラム」が縁で脱サラ、独立。主に札幌・仙台を中心に学生と企業の求職・求人活動支援のコンサルティングを展開中。55歳。趣味は野球観戦、蘭、熱帯魚。