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コラム

菅原のひとりごと

弊社代表・菅原による不定期連載。世の中の動向や日常の出来事を徒然語ります
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第30回

リュックに海水パンツやタオルを詰め込んで、北上川を渡り、ダラダラ続く峠の坂を汗をかきながら登りました。日焼けした顔、ランニングに半ズボン、昭和40年代の田舎小僧達の真夏の定番です。峠を越えると急に涼風が海の匂いを運んできます。扇状地目掛けてブレーキをかけずに猛スピードで降りていくと、そこには青空と大きな海原が広がります。映画「Stand by Me 」のテーマ曲がよく似合うシーンです。皆さんも想像できますよね。笑

4月26日に、友人と登米市側から南三陸町に向かいながら、そんな光景を思い浮かべていました。「こんなに遠かったっけ?」「あの時は海に入りたくて夢中だったからな」その時の自転車は、今日の車よりもずっと速く感じたはずです。峠を越えると10年前のカーナビには志津川町が記されました。海側から白い煙が立ちこめ、埃の中に廃虚と化した合同庁舎が現れました。呆然と眺めるしか術のない自分たちが我に返ったのは「目的地周辺です」というナビの音声でした。

震災から50日が過ぎようとしています。

いやまだ、たった50日なのかもしれないと、この場所に来て実感します。

「地元の人に希望の光を早く与えたい」「観光に力を入れてきた街だからこそこの市(いち)でもう一度人を呼びたい」そんな思いで地元有志が立ち上がって「福興市」を開くという知らせをもらいました。開催にあたり、必要な備品の確保に悩む中、「何か当社らしい支援は出来ないか?」と考えていた取引先が応えてくれました。何と新品テント50張を南三陸町に寄贈したいと申し出があり、この日現場確認に出向きました。

雑誌の写真やテレビの映像には匂いはありません。埃や泥の入り混じった独特の匂いの中で、黙々と大量の瓦礫と戦っている人たち、仮設住宅を建てている人たち、色々な人たちが明日へ向かおうとしています。自衛隊のベースキャンプがある小学校のグランドでは、ヘルメット姿の自衛官と子供たちが野球をしていました。野球小僧たちの未来を作ることも大切な仕事ですね。

震災以来「私たちに何が出来るか?」と考えていました。ここに来てもう一度考えさせられました。一時的な感情を敢えて捨てて、途方もなく長い道のりを支えていく「出来ること」を見出す必要があると痛感します。

何年先になろうとも、あの青い空と海原をワクワクしながら目指した子供たちに、また出会える日が来ることを信じます。

平成23年4月28日



プロフィール菅原 誠

株式会社エムジョイ代表取締役。
平成元年、地元テレビ局とタイアップした学生の就職支援イベント「探職フォーラム」が縁で脱サラ、独立。主に札幌・仙台を中心に学生と企業の求職・求人活動支援のコンサルティングを展開中。55歳。趣味は野球観戦、蘭、熱帯魚。